【甲斐善光寺@甲府市】武田信玄により移転された寺院

寺社仏閣・城などの史跡

長野県の善光寺を山梨に持ってきたのが甲斐善光寺です。善光寺は無宗派の仏教寺院という非常に珍しい存在で、僧侶ではなく在家の本田善光という人が創設したという点も特殊です。古くから人気のあるお寺で、戦国時代には善光寺を巡って武田信玄と上杉謙信が争い、戦火を逃れるという名目で信玄が善光寺そのものを武田の本領である甲斐国(山梨県)へ移転させてしまいます。

とても面白い創建由来

第三次川中島合戦の折、上杉謙信が信濃善光寺の善光寺如来像や寺宝を越後へ持ち帰り、直江津に如来堂を作りました。これに激怒したのが武田信玄で、信玄の父親である信虎も善光寺参りをしていることから以前から武田家と善光寺は繋がりがありました。信玄は直ちに兵を送り善光寺周辺を制圧し自身の領地に組み込むと、甲斐国へ善光寺の移転を実行します。これが甲斐善光寺の創建経緯です。

武田信玄が作らせた本堂は信濃善光寺とほぼ同等サイズの巨大な寺院だったのですが、江戸時代の1754年に焼失。その後30年かけて再建されるのですが、最初のものより若干小さな建物になってしまいました。それでも桁行38m、梁間23m、高さ26mは山梨県では最大規模の木造建造物であり国の重要文化財に指定されています。

山門もデカイ

山門も国指定の重要文化財です。1767年ころ完成した模様。

山門から本堂を見るとこんな感じです。中央の人影が山門の巨大さを物語っています。

寺より古い鐘

信濃善光寺から持ってきたもので、1179年に修理されたとあるので平安時代に作られた鐘みたいですね。古い……

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山梨の道祖神は丸い

甲斐善光寺の駐車場近くにある道祖神です。道祖神というと男女一対の石像で表現されることが多いと思うのですが、山梨の道祖神はこの様に丸い石で表現されます。山梨県内のいたるところでこの様な道祖神が見られるのですが、全国的には珍しいらしいですね。

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