韮崎市の七里岩の上にあったとされる新府城は、長篠の戦いに大敗した武田勝頼が支配力を安定させるために建設を始めました。しかし織田の甲州征伐が始まり、完成前に焼却放棄された城です。少なくとも数千から万単位での兵力の運用が想定されていたと言われ、天然の断崖である七里岩を利用した縄張りは、南北約8km、東西2kmと広大です。完成すれば甲斐武田氏が築城した城としては最大となる筈でした。
築城は真田昌幸
新府城は真田昌幸が普請奉行を努めたと言われています。大河ドラマの真田丸でもその説が採用されていました。真田昌幸と言えば上田城で僅かな手勢で、その数倍もの大軍で押し寄せる徳川軍を2度も撃退した戦の天才です。上田城は勿論真田昌幸が縄張りを手掛けました。そんな天才が普請した城ならば、完成していたらかなりの堅城になったに違いありません。
実際には完成しなかったのですが、完成した姿を夢想するのは楽しいものです。
新府城の写真を貼っていく
入口は乙女坂と言われかなり急な階段となっています。ここで転んだら多分死ぬと思うくらい急勾配です。
昼なお暗きといった感じで、一人だと結構怖いです。
頂上が見えてきました。
やっとたどり着きました。
社がありますね。
シンプルな佇まいです。
新府城の復元図。こうしてみると、七里岩全体を使った城で、かなり広大な縄張りであった模様。主に南方からの進軍を受け止めるような設計みたいですね。
社の裏側。
本丸跡です。
武田24将の慰霊碑があります。
帰りもこれを下るのかと思うと気が重いです。
謎の出構え
駐車場直ぐ側にある出構え跡ですが、今でもしっかりと台形の形を整えています。しかし何に使われたかは分かっていない謎の設備みたいです。
出構えの近くにある説明文。
Jおじは城マニアではないのですが、想像しながら見るには結構面白い場所でした。ただ入り口の坂が結構急なのでそこだけ注意ですね。
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