【信玄堤と三社神社@甲斐市】洪水と山梨県民の戦いの歴史

寺社仏閣・城などの史跡

むかしむかし、甲斐国 現在の山梨県は洪水が激しく石高が全く安定しませんでした。土地は荒廃し人々の生活は困窮する中、一人の男がこの難題に立ち向かいました。時の甲斐国主・武田信玄その人です。彼は地域住民と協力し10年の歳月を費やし御勅使川(みだいがわ)と釜無川(かまなしがわ)の流れを変えて堤防を築き甲府盆地に平和をもたらしました。その偉業を讃え「信玄堤」と、この堤防は名付けられ現在に至ります。そして信玄堤の事例を参考に後に伊奈忠次らが更に大規模な利根川の治水事業を展開します。

信玄堤の写真

現在は堤防と公園が合体しており以前紹介した釜無川スポーツ公園も信玄堤を利用して作られた公園です。

遠くにテントが見えますね。今の時期にキャンプでしょうか?

南北に長く広大な敷地の公園です。

聖牛ってなに?

Jおじもよく知らなかったのですが、この信玄堤を作る際に考案されたものらしく、堤防の手前にこの様なものを設置し堤防に当たる水の流れを和らげるそうです。

具体的にはこんな感じで設置します。この聖牛により水の乱流を故意に起こして堤防への衝撃を和らげる仕組みみたいです。

三社神社について

信玄堤すぐ脇にある三社神社も洪水と関係の深い神社です。天長2年(825)、甲府盆地一帯に大洪水が発生した際に、この地で防水祈願の神事が行われたのが始まりとされます。桃が有名な一宮の一宮浅間神社をはじめ、二宮美和神社(笛吹市)、三宮玉諸神社(甲府市)の山梨の著名な三社の神様を合わせて祭ったので三社神社といいます。それだけ水害が深刻だった、ということでしょうね。

この鳥居は推定桃山時代のもので甲斐市の文化財です。

屋根は昭和年間に修繕されて銅板葺きに改められたり他にも各所修繕されているようなのですが、建物そのものは江戸時代のものみたいですね。

社の脇に更に小さな社がありました。

この石仏(?)も結構年季が入ったもののように見えます。バンダナ巻いているみたいですねw

安永は1772年から1781年までの元号です。江戸時代ですね。

水神の碑

三社神社のすぐ側には水神様の碑があります。

そのとなりには小さい社があります。これも古そう…

余談ですけれど、公園のトイレにも武田菱が刻んであります。山梨県内において武田信玄公は絶対の存在なのです。

地図

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