武田信玄は1521年に武田信虎の嫡子として誕生しました。この時産湯を汲んだ井戸がこの積翠寺には残されています。武田信玄は要害山城で産まれたとする説とこの積翠寺で産まれたとする説があり、はっきりとしません。ただ信虎の居城である躑躅ヶ崎館ではなく、後詰めの城である要害山城またはその途中の積翠寺で誕生したというのは、まだ信玄誕生の時期は甲斐国内を信虎が完全に平定出来ていなかった証拠として興味深いです。
山寺

積翠寺は武田神社(躑躅ヶ崎館)から向かって左に折れる道をひたすら北に向かって進むとある山寺です。甲府市内ですが、そこそこ山奥といった印象。

開祖はあの奈良の大仏建設に携わった行基と言われています。


建物は本堂と倉庫?のようなものの二棟に信玄像が安置されてる小さなお堂があります。
裏の庭園


本堂裏の庭園は入る道が非常に分かり難く、事前に下調べしていないと恐らく気が付かないです。この奥に武田信玄産湯の井戸があるのですが、これも非常に分かりにくい位置にあります。
観光用に整備されているとは言い難い感じですね。

これが信玄公産湯の井戸。事前に調べたにもかかわらず、どこにあるのか結構探しました。
要害山城

積翠寺より更に山奥にある要害山(ようがいさん)城は武田信虎・信玄の居城、躑躅ヶ崎館(現武田神社)の後詰めの城として建設されました。躑躅ヶ崎館は平城で交通の便はとても良いのですが、籠城には全く向きません。そこで籠城する為の城が必要だったのです。
武田信玄が治世を行っていた時期は甲斐国内で戦いは起きなかったので要害山城は全く活躍しなかったのですが、お城を題材としたゲーム(『城姫クエスト』や『御城プロジェクトRE』)だと何故かそこそこ強力なキャラとして登場しています。

城の俯瞰図です。山城を見るといつも思うのですが、建築資材をこんな所までどうやって運んだのだろうと不思議に思います。

最初城の本丸まで登ろうと思ったのですが、傾斜がキツすぎるのと一人でこの森の中を進むのは怖かったので、入り口から100mくらい進んだところで諦めました。名前の通り本当に天然の要害ですね… 岩殿山城といい山梨の山城は結構エグい場所にありますね。

入り口から要害山を撮影。傾斜がかなりキツイのがお分かりでしょうか?
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