『古事記』『日本書紀』というと奈良時代に編纂された日本最古の歴史書ですが、この両方に記載のある、記録に残る中では山梨県内で最も古いとされる神社が酒折宮です。
第12代景行天皇の皇子である日本武尊(ヤマトタケル)が東征の折、この酒折宮(さかおりのみや)に立ち寄り「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と方歌を詠むと、側近が「かかなべて夜には九夜日には十日を」と方歌で返します。これが後に平安貴族たちの間で流行る連歌の起源となり、酒折宮が連歌発祥の地と言われています。
祭神はもちろんヤマトタケル
ヤマトタケルはここにしばらく滞在し、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)より草薙の剣と一緒に授かった火打袋という神器を「我行く末ここに御霊を留め鎮まり坐すべし」としてこの地に祭ったのが酒折宮の始まりらしいです。
狛犬。
拝殿。大正時代に火災にあって焼失してしまい、現在の拝殿は再建されたものらしいです。
謎の祠(ほこら)
古い神社には必ずある小さな祠の一群。
この祠だけ参道まで整備されています。一体どういった経緯で建てられた祠なのか謎なのですが興味をそそります。
歴史のロマン
ヤマトタケルが東征を行ったのは西暦に換算すると110〜111年の事らしいので、軽く1900年前から酒折宮は存在していたことになります。聖徳太子が生きていた頃には既に存在していたというのですから凄い事です。1900年前はこの辺が一体どんな感じだったのか? 人々はどんな生活をしていたのか? 想像してみると面白いですね。
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