「心頭滅却すれば火もまた涼し」というこの言葉、実はこのお寺が発祥となっています。恵林寺は鎌倉時代の1330年に夢窓疎石により開山創建されましたが、応仁の乱の頃には荒廃してしまいます。しかし時の国主、武田信玄がこのお寺を武田の菩提寺として庇護し再整備します。
そして信玄が死んだ後、織田徳川連合軍による甲州征伐により武田が滅ぶ際に、武田氏の菩提寺であった恵林寺も焼き討ちされ全焼してしまいます。この時住職であった快川紹喜(かいせんじょうき)が燃える三門の上で織田信長の軍勢の前で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と一喝し火中に身を投じました。この余りの壮絶さが後の世まで語り継がれ、このセリフが様々な場面で引用されるようになりました。
武田全盛期の面影が残る巨大寺院
武田信玄は自ら出家するほど仏教に熱心で、激戦地となっていた信州(長野県)から当時より超有名なお寺であった善光寺を甲斐国(山梨)へ移転させたり、甲府周辺の有名な寺院を甲府五山として整備したり、宗派を越えて仏法の保護に務めました。故に比叡山を焼き討ちした織田信長は断じて許せなかったと言われています。
遠くの一番奥に見える赤い門が…
これです。この奥に更に先程言った快川紹喜が火定した三門があります。
ここの表庭園も綺麗ですが、本堂裏に更に有名な庭園があります。
三門
これがその三門です。ここから更に奥が本堂です。
柱には漢文で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と書かれています。
山梨の寺院には珍しい塔もあります。
国指定名勝の庭園
ここから本堂に入れます。
中はこんな感じです。
ここが国指定の名勝となっている庭園。恵林寺の開祖、夢窓疎石が作ったものです。夢窓疎石は伝説的庭園設計者で、世界遺産の苔寺(西芳寺)庭園、天龍寺庭園などが代表作。武田信玄も「これがあの有名な夢窓国師の造りし庭園か… 雅なものよ」と見入ったのかと思うと歴史のロマンを感じます。
信玄の墓(供養塔)が本堂奥にあるのですが、撮影禁止なので写真は撮れませんでした… 仕方ないですね。興味のある方は直接見に来て下さい。
紅葉の終わりはすこし物哀しい雰囲気がありますね。
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